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岡山地方裁判所 昭和42年(行ウ)1号 判決

原告

鳥越菅夫

被告

岡山県教育委員会

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

(原告)

原告は「被告が昭和四〇年七月三一日付をもつてなした原告に対する退職処分は取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決。

(被告)

主文同旨の判決。

第二  請求原因

一、原告は、昭和二年以来岡山県において小学校教諭の職にあり、昭和三五年六月からは、同県吉備郡昭和町立富山小学校で教鞭をとつていたものであるが、被告岡山県教育委員会(以下被告委員会という。)は、昭和四〇年七月三一日付をもつて、原告を依頼免職とする退職処分(以下本件退職処分という。)をなした。

二、原告は、被告委員会の本件退職処分が不利益処分であることを理由に、同県人事委員会に審査請求をなしたが、同委員会は、同四一年一〇月二八日付で原告の主張を認めず、本件退職処分を承認するとの判定を下したので再審査申立をなした。

三、しかし、本件退職処分には次のような違法がある。

(一)  本件退職処分は、原告が被告委員会から岡山県職員の退職手当に関する条例第五条に基づく退職金支給額の優遇措置を前提とする退職勧しようがなされた結果、やむなく退職を決意し、勧しようを理由とする退職願をだしたのに対し、被告委員会がこれを無視し、優遇措置を伴わない依願退職処分をなしたものである。富山小学校長服部喜久男は、原告が勧しよう退職する旨明記した退職願を提出しており、その意図が勧しよう退職であることが歴然としているにもかかわらず、故意にこれを歪曲し、あたかも原告が自己の都合で退職するかの如き具申書を昭和町教育委員会に提出し、同委員会はまたこれを鵜呑みにして被告委員会に内申するという虚偽違法の手続きをなし、被告委員会においては右内申書等が原告の意思と相違することが、事前提出の退職願によつて明白に了知できたにもかかわらず、これまた原告の意思を黙殺し、あえて本件退職処分をなしたのである。

原告は、昭和二年一月から、小学校教員として勤務し、誠意と情熱をもつて児童の教育に専念してきたものであるが、被告委員会は原告が五〇才に達した昭和二八年頃から退職の勧しようを始め、以後毎年執拗に続けられた。原告は、老令とはいえ、身心ともに強健であり家庭財政上の生活問題もあり、児童教育に対する情熱と自信は旺盛であつたので、終始、被告委員会の勧しようを辞退してきたが、昭和四〇年三月に至り、被告委員会の退職勧しようは一だんと熾烈になり、原告もこれに抗しきれず、遂に退職を決意するに至つたが、その際、被告委員会は、原告が被告の勧しように基づき退職するものであること、したがつて、退職に際しては前記退職金支給額の優遇措置をとること、また同年七月三一日までは在籍勤務を許す旨確約した。そこで、原告は、昭和四〇年四月七日、富山小学校校長服部喜久男を介して、勧しようにより退職する旨の退職願を提出し、右退職願は被告委員会によつて受理された。その後、服部校長から所定の退職願用紙を下付されたが、同年七月二五日、原告はこれにも勧しよう退職である旨明記して提出し、これまた被告委員会に受理されている。したがつて、原告が七月末をもつて、勧しよう退職することは、被告において、すでに明らかに承認されていたところであつた。しかるに原告は、同年八月三日、被告委員会から依頼退職の辞令の交付を受けたのであつた。右の如く、被告委員会は原告の意志を没却し、当初の合意と全く異なる依願退職の処分をなしたのであるから本件退職処分は違法であり取消されるべきである。

(二)  しかも、原告が被告委員会から勧しようを受けて退職する場合には当然退職金支給額の優遇措置を伴う退職処分がなされることは、前記条例五条が明示するところである。すなわち、同条によれば「二五年以上勤続しその者の非違によることなく勧しようを受けて退職した者であつて任命権者が知事の承認を得たもの」に対する退職手当の額は、単に二五年以上勤続したものに比し、相当増額されることになつているのである。原告は、岡山県下の小学校に当時、すでに三九年勤続し、自己の非違によることなく勧しようにより退職せんとしたものであるから、仮に前記合意が存在しないとしても右条例の適用を受け得るのである。

もつとも、条例五条が適用されるためには、任命権者が知事の承認を得ることも一つの要件とされている。しかし、かかる承認の手続きは、退職の勧しようをなす任命権者としては当然とるべき措置であり恣意的にこれを回避することは許されない。右知事の承認は、予算措置の必要上設けられたものではあるが、退職者個々について知事が承認不承認を決定するものではない。毎年度、勧しよう前に、勧しよう予定者を包括して予算折衝がされるのであり、それは退職人員を基準とし、被告委員会事務局の担当課において処理されるものである。しかも、通常年度における勧しよう退職者は二〇〇名を超えるところ、知事においてこれらに対し条例五条適用した事例は存しない。もちろん原告の処分について知事から同条適用を不可とする意思が示されたことも全くない。しかるに被告委員会は、三九年度において、二〇〇名以上の勧しよう退職者が、すべて条例五条の適用を受けて退職したのに、原告ただ一人に対しては、殊更に同条適用を拒否したのである。またある年令(例えば六〇才)に達した以後は勧しようによる場合であつても、条例五条の適用をしないとする条規はなく、被告委員会の正式機関その他によつて同旨の決議がされた事実もない。そうすると、原告が被告委員会の勧しようを受けて退職するものである以上、当然条例五条の適用がなされるべきである。しかるに、右適用を怠つた被告委員会の措置は違法であり、右の違法は本件退職処分をも違法ならしめるものであるから、取消に値するといわなければならない。

(三)  仮に右の主張が認められないとしても、原告の退職の意思決定は、被告委員会側の執拗かつ弾圧的な退職勧告に基づくものであつて、原告の任意の意思によるものではなく、したがつて、かかる意思を前提としてされた本件退職処分は無効である。すなわち、原告は、昭和二八年以来、毎年執拗な退職勧告を受けていたところ、近年は被告の退職勧告は一そう強圧的となり、とくに昭和四〇年三月に入つてからは、被告及び町教委、校長等の強談判が連続し、とくに、同月二七日には被告委員会事務局の福島課長補佐、昭和町教育委員会井田委員長、富山小学校服部校長らが原告宅を訪れて、交々圧力を加えたうえ、退職の話は打切りにしてくれと嘆訴する原告を無理矢理に昭和町の料理屋「一光亭」に連れ込み、酒席において「死ぬまで勤めるわけでもなかろう。この際退職してはどうか。退職条件は考える。」等と、原告に弁解の余地を与えず詰め寄り、遂に原告をして退職する旨の意思表示を余儀なくせしめたものである。

第三  被告の答弁および主張

一、請求原因第一、二の事実は認める。

二、被告委員会は原告に対し、昭和三九年度末に条例五条の規定による優遇措置はできない旨を伝えて、退職を勧しようしたところ数回の話し合いの後、条例五条の規定による優遇措置をせず七月三一日退職ということで話し合いが成立し、その後の原告から勧しようにより退職する旨の退職願が校長を経て提出された。これは前記条例第五条の優遇措置をしないことを明確にした勧しようによつて原告が自ら退職の意思決定をしたことに他ならない。原告は昭和四〇年八月三日に予定されていた児童および校区民との送別会実施に同意し、原告自身も右送別会に列席し、退職のあいさつを行なつている。同年八月四日、同月一九日の原告と被告委員会との話し合いにおいても原告は昭和四〇年七月三一日付で退職することに同意している。

第四  証拠

(原告)

甲第一ないし第五号証、第九、一〇号証、第一二ないし第一四号証および第六ないし第八号証、第一一号証の各一、二を提出、証人服部喜久男、同福島祐一、同井田孝一、同岡本林一、同妹尾康夫、同川上亀義の各証言および原告本人尋問の結果援用。

(被告)

甲号各証の成立を認める。

理由

一、争いのない事実等

原告は、昭和二年以来岡山県において小学校教諭の教職にあり、昭和三五年六月からは同県吉備郡昭和町立富山小学校に勤務していたところ、被告委員会は昭和四〇年七月三一日付で原告を依願免職とする本件退職処分をなしたので、同年九月二九日付でこれに対し不利益処分であることを理由とする審査請求を岡山県人事委員会宛なしたが、同委員会は昭和四一年一〇月二八日付で本件退職処分を承認する旨の判定を下したことは当事者間に争いがない。そして、成立に争いのない甲第三号証によると、被告委員会は昭和四二年二月一七日付で原告のした再審査の請求を却下する旨の裁決を下したことが明らかである。

二、五条優遇措置適用の合意の有無について

(一)  まず本件退職処分の発令に至る経過について検討する。

成立に争いのない甲第四、九、一〇号証、第七ぽ八、一一号証の各一、二、証人服部喜久男、同福島祐一、同井田孝一、同川上亀義の各証言、原告本人尋問の結果(但し後記信用しない部分を除く)に前記争いのない事実を総合すれば、次の事実が認められる。

(1)  原告は、昭和二年一月岡山県小田郡中川北小学校に勤務して以来岡山県下の小学校に継続して教鞭を執つてきたが、原告が五五才に達した昭和三二年頃より任免権者たる被告委員会から毎年のように後進に道を譲るため勇退されたい旨の退職勧告を受けるようになつた。

(2)  岡山県においては、地方公務員に定年制が存しないことから生ずる人事の停滞、人件費の膨張等を抑制するための一つの方策として一定期間以上の勤続者に対して自発的な退職を勧告し、当該職員がこれに応じたときは任免権者が知事の承認を得たうえ退職金の支給額を通常の場合よりも高くする優遇措置を伴ういわゆる勧しよう退職制度を「岡山県職員の退職手当に関する条例」(以下条例という。)により定めているが、(そのうち、勤続二〇年以上二五年未満の者を対象として条例四条の適用される場合と勤務二五年以上の者を対象として条例五条の適用される場合の二種類があり、後者の退職金支給率は前者より約二割高くなつている。)、原告は退職勧告を受け始めた頃昭和三二年当時既に勤続三〇年に達していたため、当然条例五条適用の優遇措置(以下五条優遇措置という。)対象者となり、被告委員会は右優遇措置をつけることを条件に退職を勧告したが、原告は未だ教職の責に耐えうることを理由にこれを拒否し、さらに昭和三五年六月当時の勤務校であつた笠岡市立飛山小学校から僻地の吉備郡昭和町立富山小学校へ転勤を命ぜられたことについて不満を抱き(原告は右異動を不利益処分であるとして岡山県人事委員会に不服申立を行なつたが、結局理由がないとして棄却裁決を受けた。)以来被告委員会に対して不信の念を強めるに至つた事情も加わり、右年度以降の退職勧告にも五条優遇措置の有無は問題ではないとして応じようとしなかつた。

(3)  原告が六〇才に達した昭和三六年度には、被告委員会は、通常五五才前後で勧しよう退職に応ずる他の一般教職員との均衡上、今後は五条優遇措置を行なわないとの内部方針を樹て、この旨を原告に対し通告し、右優遇措置付の勧しよう退職は本年度が最後になるからと原告の決断を促したが、原告はこれにも応じなかつた。しかし、その後原告は胃潰瘍に罹り手術を行なつたり、子供が進学のため相次いで上京する等のことから漸く退職の決意を固め、昭和三八年度の年度末である昭和三九年三月頃これを被告委員会に伝えたが五条優遇措置を行なうことを条件とするものであつたため、前記のとおり六〇才以上の者に対してはこれを行なわないとの被告委員会の方針に牴触し被告委員会が原告の申し入れを拒絶したので原告の退職は実現しなかつた。

(4)  原告が六三才に達した昭和三九年度末には、被告委員会においても原告の退職を是非共実現させるべく、まず昭和四〇年二月二六日被告委員会の意を介して富山小学校長服部喜久男、昭和町教育委員会委員長井田孝一の両名が原告と折衝したのを皮切りに、三月に入つてからは被告委員会事務局より学事課課長補佐福島祐一も派遣され同月二日、一六日、二三日の三回にわたり原告の説得に努めたがいずれも不調に終つた。しかし、被告委員会にあくまで説得を試みる方針を捨てず、同月二七日にも富山小学校校長室において、福島が服部校長、井出教育委員長両名立会いのうえ午前一〇時頃より午後四時頃まで原告と折衝したが話し合いは進展せず遂に物別れに終つた。そこで、原告の退職問題は一応打ち切りということになり、長時間の折衝で双方に生じた感情のしこりをほぐすための気嫌直しと称して井田委員長の提案により全員で国鉄伯備線美袋駅前にある料理屋「一光亭」へ出掛け酒席が設けられたが、その席上原告が本年中には決意する、自分の骨は福島に拾つて貰おうと思つている旨発言したことから急転して原告の退職問題が再燃し、結局しばらくやりとりのあつた後井田の持ち出した、本来であれば退職処分の発令は昭和三九年度の年度末たる昭和四〇年三月三一日付をもつて行なうところを、特に七月末までこれを延ばすこと、但し原告の後任教諭は四月の新学期に赴任させる、との案で原告および福島も合意に達した(もつとも、その際福島は自己の独断により原告の退職処分発令時期を七月まで延ばすことを決定はできないから、一応被告委員会に帰つたうえ上司の承認を求めるとの理由から右合意の成立を留保したが、福島から報告を受けた被告委員会は右合意を承認した。)。そして、原告は四月七日付で被告委員会宛退職願を提出したが、右退職願は正式の書式に則つたものでなかつたため七月二五日付で正式の用紙に書き改めた退職願を再度提出し、これに基づき本件退職処分が発令された。

以上の事実が認められ、右認定に反する原告本人尋問の結果の一部は信用できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(二)  ところで、原告本人尋問の結果によりいずれも原告自筆の退職願であることが認められる前記甲第一〇号証、第一一号証の一、二には、退職理由としていずれも「勧奨に基づき」或は「勧しようにより」と記載されているにも拘わらず、証人服部喜久男、同福島祐一、原告本人尋問の結果によれば被告委員会は右各退職願をそのまま受理していることが認められ、また前記甲第七号証の一、二、証人岡本林一、同井田孝一の各証言、原告本人尋問の結果によれば、昭和四〇年八月三日富山小学校教員室において原告の退職辞令が服部校長より原告に交付された際、原告は辞令の文面中「願により職を免ずる」と依願退職形式になつている点を捉え、前記各退職願の退職理由の記載と喰い違つていることを理由に、辞令をその場に居合わせた昭和町教育長岡本林一に突き返したことが認められ、これらの事実のみからみると原告主張の如く、五条優遇措置を行なう旨の合意が原、被告間に成立していたのではないかとの疑念の生ずる余地もないではない。

しかし、前認定の如く被告委員会は既に昭和三六年度には五条優遇措置を以後行なわない旨の通告を行ない、また昭和三九年三月には原告からの右優遇措置を行なうことを条件とする退職の申し入れを拒絶しているのであるから、昭和四〇年に至り突如として原告に対する右優遇措置の適用を承認することは如何にも唐突かつ不自然の感を免れず、かえつて教育人事行政上の配慮から被告委員会は原告に対して右優遇措置を行なわない方針であつたからこそ、その代償措置として退職時期を七月末日まで四カ月延長するといういわば実を捨てて名を取つた形の前記井田提案を承認するに至つたと解するのが自然である。そして、成立に争いのない甲第八号証の二、第一二号証、証人福島祐一、同妹尾康夫、同服部喜久男の各証言によれば、特定の退職者に対して五条優遇措置を行なうか否かは予算の裏付を必要とする関係上、遅くとも当該年度末には最終決定がなされていなければならないところ、被告委員会は前記原告との数年来の折衝経緯より、原告は当然右優遇措置の適用対象者から除外されるとの立場から、既に新年度に入つた昭和四〇年四月七日付および七月二五日付で提出された原告の各退職願中の退職理由の前記各記載を、必ずしも右優遇措置を伴ういわゆる勧しよう退職を意味するものではないと判断した結果、原告に対して強いて訂正を求めるようなことはせず、また服部校長も前記一光亭における話し合いの席に立ち会つており、いわゆる代償措置の件も知悉していたため同様の判断から、七月二六日付で昭和町教育委員会宛提出した原告の退職に関する具申書の退職理由欄に「一身上の都合により」と記載したことが認められる。さらに、前記の如く原告の子供が進学のため相次いで上京したことから、前記甲第九号証、原告本人尋問の結果によれば、原告は退職金をもつて返済に充てる予定のもとに他より融資を受けて昭和三九年九月頃千葉県松戸市に家を新築し、原告を除いて妻子は全員松戸市へ移住したことが認められ、退職金の支給額について全く無関心であつたとは考えられないが、(前記甲第四、一二号証によれば、原告は本件退職処分当時本俸月額六万五六九〇円であり、昭和三九年度末たる昭和四〇年三月三一日付退職として五条優遇措置が行なわれた場合の退職金支給額は四二二万円余、条例四条の適用の単なる長期勤続後の退職として取扱われた場合のそれは三五二万円余となり、その差額は約七〇万円であるが、後者の場合でも原告の如く在職期間が翌昭和四〇年度の七月末まで延長され、その間の俸給および賞与支給額を加算すると差額は約三八万円となることが計算上明らかである。)原告本人尋問の結果によれば、前記一光亭における合意が成立した当時原告は七月末日退職で、しかも五条優遇措置が行なわれたとしても退職金支給額は三〇〇万円前後であろうと予想していたことが認められるにとどまり、それ以上に右の如き詳細な退職金支給額についての計算を被告委員会との折衝の過程もしくは内心において行なつていたことを認めるに足りる証拠はない。そして、原告が本件退職処分に不満を抱いた最大の点は、むしろ自己の退職が決して自己の側のみに存する勝手な事情、すなわち「一身上の都合」によりなされるのではなく、被告委員会の勧告に応じて職を辞するという極めて一般的な意味における勧しよう退職であると考えていたにも拘わらず、被告委員会がこれを無視して依願免職の形式をとつた結果甚だしく体面もしくは名誉感情を傷つけられたというところに存することが原告本人尋問の結果からも窺えるのである。

結局、以上の検討によれば、仮に原告がその内心において五条優遇措置の対象となることを確信していたとしても、原告、被告委員会間に右優遇措置を行なう旨の明確な合意が存したと認めることは困難であるから右の点に関する原告の主張は採用することができない。

三、五条優遇措置不適用の相当性について

次に、原告が前記合意の有無に拘わらず、当然五条優遇措置の適用されるべき資格を有するか否かについて検討する。

条例五条一項は「(前略)二五年以上勤続しその者の非違によることなく勧しようを受けて退職した者であつて任免権者が知事の承認を得たもの(中略)に対する退職手当の額は、退職の日におけるその者の給料月額にその者の勤続期間を次の各号に区分して当該各号に掲げる割合を乗じて得た合計額とする。」と定めており、右規定の文言上からも明らかな如く、二五年以上の勤続者で勧しようを受けて退職したものはすべて当然に同条の適用を受けるのではなく、そのうち任免権者が知事の承認を得た者に限られている。(なお、証人妹尾康夫、同川上亀義の各証言によれば、右規定にいう知事の承認とは、文言上は事後的かつ個別的承認のように読めるが、実際上は地方行政組織法二九条の趣旨より被告委員会において五条優遇措置の適用をなすべき対象者の人選をあらかじめ行なつた後、その総人数分の予算措置について知事の承認を事前に得るという方式で運用されていることが認められる。)そして、同条の適用につき人事行政上の配慮から勤続期間の年数および年令についてその最高限を画することは、右任免権者および知事の裁量に委ねられていると解すべきである。そこで、本件につき右裁量行為の濫用と目すべき事情があるか否かを検討する。証人福島祐一、同川上亀義の各証言によれば、当時岡山県では一般教員については五五才前後に勧しよう退職が慣行として行なわれていたが、原告の退職問題を契機として、少くとも、原告については六〇才を越えた場合五条優遇措置を行なわないとの方針を樹てたことが認められ、右方針はわが国産業界に今なお支配的な五五才定年制の実状および条例五条が勤続三〇年までは一〇年間隔で逐次退職金支給率を引き上げているが、三一年以上になると逆にこれを引下げていることとの比較権衡からいつても低きに失するとは解されない。その上教育の教育活動の特殊性から、身分、待遇が保障される一方、児童生徒を教育するという重大な職責を有する教員に対しては、その専門性と指導性を充分に発揮しうる年令の自然的限界も常に慎重に吟味される必要があり、このような観点から考慮してもなお右基準に関する前記判断を左右するには至らない。したがつて、六三才の原告に対して五条優遇措置の適用をなすべき対象者から除外した任免権者たる被告委員会の措置はやむを得ないものであつたというべきであり、なおその他に右非適用の措置が特に原告に対する差別的もしくは報復的な意図に基づいてなされたものであることを認めるに足りる証拠もない。よつて、この点に関する原告の主張も採用することができない。

四、退職意思決定の任意性について

証人服部喜久男、同福島祐一、同井田孝一の各証言、原告本人尋問の結果によれば、原告は一光亭では退職の話を持ち出さないことを条件に福島らと同所へ任意に赴いたものであり、同所においても食事のほかに酒が出され一応酒席の形にはなつたものの、原告があまり酒好きではなかつたので各人がそれぞれ銚子一、二本程度を飲んだ頃前記のとおり骨を拾つて貰う云々の原告の発言がきつかけとなり原告の退職問題が蒸し返される運びとなつたが、その退職時期等について種々具体的な協議をなした末、最後には原告と福島が握手を交わして別れたことが認められるから、原告の本件退職の意思決定が福島らの強要による意思抑圧下になされたとは到底認められない。したがつて、原告の任意な退職申し出に基づいてなされた被告委員会の本件退職処分にも何らの瑕疵は存せず、この点に関する原告の主張も採用することができない。

五、結論

以上のとおり、原告の本訴請求は理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

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